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立待岬の手前に『石川啄木一族の墓』があります。 |
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立待岬には『与謝野寛・晶子の歌碑』がある。 昭和6年夫妻が来函したときに詠んだ歌が記されている。 「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土 寛」 「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと 晶子」 岡田先生とは市立函館図書館の初代館長岡田健蔵氏。図書館事業に尽力した人です。 |
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「立待」はアイヌ語の「ピウス」(岩の上で魚を待ち伏せして、ヤスで獲る場所)を意訳したものだそうです。 岬一帯の岩は、五稜郭築城の際、石垣の一部に使用されました。 |
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遊歩道が整備されています。 | |
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津軽海峡を一望できます。 下北半島も見えます。 |
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売店があります。 | |
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売店の一番人気はつぶ貝(しお)だそうです。 1串400円。予算1000円の『函館貧乏観光』的には厳しいお値段です。それに、もうお金は使って余力がありません。
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立待岬から帰る途中に『碧血碑』があります。 行ってみます。 |
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静寂の中をしばらく歩きます。 途中すれ違った人は一人。 |
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『柳川熊吉翁の碑』 箱館戦争後、新政府軍は賊軍として旧幕府軍の遺体の埋葬を禁じた。市中には遺体が放置されたままとなり、これに憤りを覚えた柳川熊吉は打ち首を覚悟の上で遺体を回収した。熊吉は捕えられ死刑を宣告されるが、軍監の田島圭蔵の助命により許された。のちに熊吉は函館山山腹に土地を購入し、遺体を埋葬した。やがて旧幕府軍の祭祀が許されると碧血碑が建立された。大正2年柳川熊吉の義挙を伝えるために碧血碑の傍らにこの碑が建てられた。 |
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『碧血碑』 箱館戦争での旧幕府軍戦死者の慰霊碑。高さは約6メートル。 中国故事によると義に殉じて流した武人の血は三年たつと碧色になるという。 |
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